瀬戸神社の御神宝

重要文化財(国指定)

舞楽面瀬戸神社には「陵王」(りょうおう)、「抜頭」(ばとう)という二つの舞楽面が所蔵されています

このふたつの面は、源實朝が愛用していたもので、實朝が建保7年(1219)に暗殺された後、母・政子がわが子の菩提を願って瀬戸神社に奉納したものと伝えられています
鎌倉時代の力強い作風の仮面として、古来より評価されてきました

江戸時代末期の文政8年(1825)には水戸の徳川斉昭公はこの仮面のことを聞き及び、これを借り受けて観賞し、「古色清老、気格幽韻」なる様に感動して、これを返却するにあたり桐箱を新調し、末長く保存されることを念じています

「抜頭」「陵王」ともに平成7年に神奈川県有形民俗文化財の指定を受けておりましたが、平成12年には国の文化財審議会の議を経て、国の重要文化財に指定されました

◇「抜頭」面には裏に、夢想により運慶法印が彫刻したとの朱漆銘があります
これは後の追銘と考えるのが無難かと慎重に考証されていて、運慶作とは断定できないともされています
しかし、鎌倉時代前半の力強い作風であり、慶派に関わる工房の作品であることは揺ぎないといわれます

◇「陵王」面は、双子のようにそっくりな面が鎌倉の鶴岡八幡宮に所蔵されています
以前よりこの両者は同じ工房の作品ではないかともいわれてきましたが、平成12年春には神奈川県立博物館の展覧会に両者が展示されました
詳しく比較すると、瀬戸神社の陵王面のほうが、竜の腕や爪などの彫りも力強く、金箔押しも丁寧で、これが頼朝時代の本来の面で、鶴岡所蔵の面はこれの「写し」ではないかとの説(仮面彫刻師、梁取弘美氏の説)も提示されました

横浜市指定文化財

瀬戸神社に伝来する中世の神像群7躯(附破損像1躯)は、昭和63年に横浜市の文化財(彫刻)に指定されました

男神坐像(伝、大山祇神像)男神坐像(伝、大山祇神像)

髪をみずらに結う童子形ですが、袍を着用して笏をもち、口許には髭をたくわえた厳しい忿怒形の相をしています

童子形にもかかわらず威厳のある風貌は、主祭神である大山祇神の神像に相応しい姿と考えられます

鎌倉時代後期ないし南北朝時代の作風とされます

女神坐像女神坐像

顔や衣裳部分に彩色がよく残存しています

振り分け髪で、表着の上に唐衣・裳を着け、潔斎掛帯の紐を肩越しに胸前で結んでいます

結び目の下の赤い半球状のものは、懸け守であろうと思われます

男神坐像三躯、女神坐像二躯男神坐像三躯、女神坐像二躯

後列男神坐像はいずれも巾子冠を戴き、右側は袍を着用し笏を持つ姿です
左は狩衣で両手には弓矢を持っていたのでしょうか?

前列左の女神坐像は両手を膝上で上向きに重ねていますが、掛守りや潔斎掛帯などは同様の姿で表されています

この五躯は2001年にロンドンの大英博物館で開催された神道美術展にも出展されました

男神立像一躯男神立像一躯

沓をはき、岩座上に立っています
髻を結い、狩衣風の着衣で左上方を見上げる姿の珍しい立像です

着衣の柔かな表現や面貌の表情に趣があり、南北朝の制作と推察されています

八臂弁財天立像一躯八臂弁財天立像一躯

摂社「琵琶島神社」にまつられていた弁財天の神像

立ち姿であることから、古来「立身弁財天」と称され、立身出世・繁昌の御利益があるとされます

頭上に人面蛇身の宇賀神を戴き、左手に宝珠を持ちます
本来は背中両脇より6本の腕が出る八臂の姿で、剣や弓矢、法輪などの持物を持っていたのですが、今は失われています

室町時代の制作と推測されています