琵琶嶋でのアマモ場再生活動

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みたまのふゆ第94号(令和5年5月15日号)より

無垢塩草について

琵琶嶋(弁天島)前の海域で、アマモ場再生の活動が続けられてきました

瀬戸神社の夏祭りは「天王祭」といって、御祭神を御神輿に奉安して町内を巡りますが、この神輿に御霊をお遷しするときには、琵琶嶋前の海からアマモを採取して、これを神輿の四方の蕨手に取り付ける習はしがあったと古老の伝承にありました。「無垢塩草」といって「祓ひ」の意味のある海草だったのです

アマモ場再生活動に併せて、この行事も復活するべく取り組んでゐます

地域の文化伝統の護持や復活と、自然環境の保護・育成とは表裏一体の活動となってこそ実現できるものであることを、このことは示してゐます

世界的な課題となってゐる炭素の固定化には、山林の緑の保全だけではなく、私たち周辺の里海の保全もつよく叫ばれるやうになってきました

今後もこのアマモ場再生に注目してゆきたいと思いますが、今回はこの活動について、代表を務められてこられた横浜市立大学の塩田肇先生にご寄稿をお願ひしましたので、是非、ご参照ください。

金沢湾のアマモ場再生活動

多様な生き物が暮らす豊かな海、その担い手としてアマモ場(あまもば)があります。しかし、産業活動の影響でその多くが失われました。失われたアマモ場を蘇らせるため、さまざまな立場の人びとが協働してアマモ場再生活動を進めてきました。

アマモは浅い砂地の海底に生える植物(海草・うみくさ)です。アマモの群落であるアマモ場は、小魚やエビ、巻貝などの生活と繁殖の場となります。そのため、アマモ場は「海のゆりかご」とも呼ばれ、生態系や水産業において重要な存在です。

また、アマモ場は光合成能力も高く、最近ではブルーカーボン(海での二酸化炭素削減)の主役としても注目されています。

かつて日本の沿岸には豊かなアマモ場が広がっていました。

しかし、高度経済成長期に埋め立てや水質汚染が進んだ結果、アマモ場は激減しました。アマモ場が減少すると、そこに暮らす生き物も姿を見せなくなりました。金沢湾も例にもれません。

そこで、平成13年にボランティアダイバーの団体が中心となって、金沢区の野島でアマモの移植が始まりました。平成15年には、行政、企業、研究機関、学校、市民などによる協働事業組織として「金沢八景―東京湾アマモ場再生会議」が編成されました。メンバーがボランティアとして活動を支え、野島や海の公園でアマモ場を再生してきました。

アマモ場再生活動の一年は、6月に花枝採取から始まります。

海の公園で採取した花枝を網袋に入れて、横浜市漁業共同組合柴漁港で種子を成熟させます。7月下旬に網袋を取り上げて種子を選別します。11月に苗床を作り種子を蒔きます。苗床を柴漁港内の大型水槽に沈めて、4月下旬まで苗を育成します。

20から40センチメートルに生育した苗を海底に直接、あるいは、海底に設置したプランターに移植します。このような作業を子どもたち、学生、市民、企業など多様な立場の参加者が、各回に50から100人集まって実施しています。最近では、漁業協同組合や企業が主体となった企画も進められるようにもなってきました。

野島と海の公園では、平成20年までに当初の二千倍にあたる5ヘクタールのアマモ場が再生されました。

アマモ場が復活すると、生き物の種数・数とも増加し、地域の漁業者からも高く評価されました。
猛暑や台風の影響でアマモ場が衰退したこともありましたが、数年で元の状態に戻りました。
環境の変化にも耐えられるアマモ場が再生できたと考えています。

再生されたアマモ場を活用して、小学生の環境学習会を開催してきました。学習会では、生き物観察、海の生き物カルタ、アマモ場紙芝居、赤潮の実験などを行って楽しみながら学びます。地域の小学校でも、アマモや海の生き物を取り上げた学習が継続されています。海の環境に関心をもつ子どもたちが育つことで、海の環境を長い目で見守っていけます。

アマモは古来より人びととの結びつきが深い植物で、各地でアマモを用いた神事が知られています。

瀬戸神社でも、再生されたアマモが神事に利用されています。平成23年より、琵琶島でのアマモの移植に取り組んでいますが、湾奥の厳しい環境ではアマモが一年を通して生育するのは困難です。現地の環境を調査しながら、さまざまな実験に取り組んでいます。

金沢湾でのアマモ場再生は短い期間で一定の成果が得られました。これは活動に参加・協力していただいたすべてのみなさんの成果です。

再生したアマモ場の安定性を確かめるため、継続した観察が必要です。そのためにも、地域に根ざした活動となることを願っています。

(金沢八景−東京湾アマモ場再生会議 代表・塩田 肇)

みたまのふゆ94号をpdfで見る

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