「東海道名所図會」に描かれた幕末ころの金沢八景
みたまのふゆ第95号(令和5年11月23日発行)より
歌川芳虎は歌川国芳門人の浮世絵師で、幕末期から明治時代中期にかけて活動しました
武者絵・役者絵・美人画のほか横浜絵や文明開化の風景画も多く描いてゐます
この「東海道名所図會」は文久三年(一八六三年)の徳川家茂(十四代将軍)が上洛した時の行列の様子を題材に江戸から京都までの東海道の名所を描いたもので、長い東海道五十三次を曲がりくねった形で表現しながら十二枚にまとめたものです
上図はその二枚目と三枚目の部分で、東海道の戸塚・藤沢・平塚の道筋よりも本牧沖に停泊する黒船を大きく描き、さらに杉田・能見堂・洲崎・野島から瀬戸明神・びわ嶋・六浦・金沢・夏島・えぼし島・さる島などを掲載してゐます
東屋や千代本らしい建物も書き込まれてゐて、「金沢八景」が名所として著名な存在で、鎌倉や江ノ島とならんで、江戸の町人たちも訪れる行楽地であったことが伺へます
大山も描かれてゐますが、大山詣りの帰路に「金沢八景」を巡るといふ落語の「大山詣り」にみられる行程も、この絵図を見た人はたどってみたくなる効果も生んだのかもしれません