9月のしをり「水天宮」

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平家物語に壇ノ浦の戦で、安徳天皇は二位の尼に抱かれて、「波の下にも都があります」と言はれて入水したと語られてゐます

そこで、波の下の都で、世界の水を司る神となってをられるとして「水天宮」と呼ばれるやうになりました

世界の水を司るはたらきの最も大きなものは、満ち潮・引き潮を司ることで、これは月の満ち欠けとも対応します

この潮の干満の周期は、人間の体の周期にも対応し、殊に妊娠・出産にこのリズムが関係すると考へられたことから、安産の御利益のあるとされるやうになったのです

水天宮の本社とされるのは久留米の水天宮ですが、建礼門院に仕えていた按察使局伊勢といふ女官が、壇ノ浦から落ち延びて、筑後川のほとりで水天宮を祀ったのが始まりとされます

江戸時代になり久留米の藩主となった有馬家がこの水天宮を篤く祀り、江戸屋敷にも水天宮を造営しました

当初は大名屋敷内の神社で、一般町民は参拝できないのでしたが、ある妊婦が鈴緒のお下がりを戴いて腹帯にしたところ、大変安産であったとの話が伝はり、有馬家は日を決めて門を開き、一般の参詣を許しました

これが現在の日本橋蛎殻町の水天宮のはじまりです

潮(塩)を司る神様が安産の御利益があることとしては、塩竈神社もまた腹帯を戴く神社として知られてゐます

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