6月のしをり「日本書紀」
紫式部は「日本紀の御局」と呼ばれたことが紫式部日記に残されてをります
一条天皇が源氏物語を人に読ませてお聞きになりながら、「この作者は日本紀を読んでゐるにちがひない。たいそう学識がある」と仰せられたとのことです
このことから左衛門の内侍といふ人が、紫式部は学識を鼻に掛けてゐると「日本紀の御局」とあだ名をつけて殿上人に言いふらしたといふのです
日本書紀は漢文書体で書かれてをり、完成直後から宮中で「日本紀講筵」といふ講義が行はれ、平安時代初期には何度も実施されてゐます
天皇の命により開催され、博士と学生の問答を公卿以下の官人が見学する儀式的な行事であったやうです
この間、「続日本紀」に続き、「日本後紀」「続日本後紀」「文徳天皇実録」「三代実録」と六国史の編纂が行われます
書名についても「日本書紀」と「日本紀」のどちらが本来のものなのか、また、読み方についても「ニホンショキ」なのか「ニッポンショキ」なのかなど古来諸説があります