松平定信

老中松平越中守定信は寛政五年(一七九三)に当社に参拝しました。
その前年にはロシアのラクスマンが大黒屋光太夫を伴ひ根室に来航するなど、異国船警備の対策が急務とされる時局で、江戸湾から伊豆・房総の海岸線の視察をするなかでの社参でした。
視察には画家の谷文晁が同行し、沿岸の風景を記録しましたが、これが「公余探勝図」といふ画帳となり、国宝指定されて、東京国立博物館に所蔵されてゐます。
この中に「武州金澤昇天山九覧亭旧跡眺望」と題して金沢八景の絵も残ってゐます。
定信はこの出張中に老中職を免ぜられますが、さらに文化九年(一八一二)には白川藩主も隠居して政治的活動からは離れますが、楽翁と号して文化的な活動を盛んに継続します。
そのなかで同十四年(一八一七)に自ら揮毫した「瀬戸之神社」の神号額を当社に奉納してゐます。
「国家鎮護」の祈りを籠めての奉納であったでせう。
瀬戸神社社殿は寛政十二年(一八〇〇)の造営がありましたので、まだ新たな御社殿に掲げられたことになります。
その後この額は永らく拝殿向拝に掛けられてゐました。現在は淑月館展示室にて御覧いただけます。
また「集古十種」といふ全国の文化財の記録も編集しましたが、これにも当時の瀬戸神社境内にあった梵鐘の銘文の拓本が掲載されてをります。
