埴輪


古墳時代の遺物に「埴輪」があります。
日本書紀には垂仁天皇の御代の記事に殉死は痛ましいことなのでこれを禁止し、能見宿禰が出雲から土部を呼び寄せて埴(はに)を取って人や馬など種種の形をつくらせ陵墓に立ててこれを規則としたといふ記事があります。
これより能見宿禰は土部臣と姓をあらため、陵墓のことを司ることとなったとされます。
考古学的調査に基づけば、埴輪の始まりは円筒埴輪とよばれる形式であり、これが次第に形象埴輪に変化したもので、野見宿禰の物語は一族の役割を伝承するもので史実とは異なると考へられますが、崇神天皇・垂仁天皇から応神天皇・仁徳天皇と巨大な古墳が陵墓が作られた時代であり、氏族の伝承もその中で形成されたのせう。土師氏からは後に菅原氏も出ることとなります。
円筒埴輪は陵墓の聖域を区画し、それが形象埴輪に発展して、葬列の形式や死後の世界での平穏を願ったものと思はれます。
先祖祭祀が我が国の生活文化のなかで重視される起源もこの古墳時代の影響が強くあるのではないでせうか。
大化改新のころから、古墳構築は急速に消滅します。仏教の伝来といふこともありますが、神社といふ形式による氏神祭祀に変化したと解釈することができます。
垂仁天皇の時に伊勢に御鏡がお遷りになり、持統天皇のころに御遷宮が始まりますが、皇祖のまつり同様に、氏族の氏神まつりにより神社祭祀が普及したと考へられます。