久延毘古(くえびこ)

大国主命が美穂の岬にいくと声がします。
誰だらうと探してみるとカガミフネ(ガガイモの実を半分にした船)に乗った小さな神がゐました。
これは誰だと尋ねてみても誰も知りません。
タニグク(ガマガエル)がクエビコなら知ってゐるといふので、クエビコに訊くと神産巣日神の御子の少名卑古那神であると答へました。
神産巣日神に確認すると、自分にはたくさんの子があるが、手の指の股からこぼれ落ちた子である。
兄弟となってこの国を造り固めよとの仰せでした。
それから大国主神と少名卑古那神とは並んで国造りをしました。
その後、少名卑古那神は常世国に渡って行かれたとされます。
そして、このクエビコは今は「山田のソホド」と言って歩くことはできないが天の下のことをことごとく知ってゐる神であると説明してゐます。
ソホドといふのは案山子(カカシ)で、一本足で歩くことは出来ないのに、世の中のことを広く見知ってゐるといふのです。
蓑笠をつけた山田の案山子は、単に人の姿をして鳥を脅して追いはらふのが役目といふより、広く神々の働きを知り、雨風の様子も把握して田んぼの稲の生育を見守ってくれる田の神であるといふのが本来の姿なのでせう。
国学者の平田篤胤は久延卑古神を学問の神として重視し、軸物に蓑笠を付けた案山子の絵を描き、これに「まさしかる事のしるしは天の下の物識り人やとひてしらまし」と讃を付してゐます。
一本足の如く腰を据ゑつつ、世の中の正しい道を知らせるのが国学の目標と考へてゐたのではないでせうか。
