薬師堂

江戸時代までは神仏習合であり、瀬戸神社境内にも薬師堂と鐘楼がありました

幕末近くの安政五年、瀬戸大火があり、隣接の料亭東屋などが火災となったときに、薬師堂、鐘楼も類焼により焼失しました
釣り鐘も失われましたが、銘文の拓本は松平定信が編纂した「集古十種」に掲載されてゐます

薬師堂があったのは、瀬戸神社祭神の大山祇神(三島明神)の本地仏が薬師如来とされるからです
伊豆の白浜に鎮座する伊古奈比咩命神社に伝はる「三宅記」といふ中世の縁起があります
天竺の王妃が薬師に祈って子を授かりましたが、この王子が継子いぢめなどにより日本にやってきて伊豆にたくさんの島(伊豆七島)を焼きだしてそこの神となるといふ中世説話的な筋書きの物語ですが、薬師の化身として表現されてゐます

北条義時の大倉薬師堂(覚園寺)や三浦一族縁の曹源寺など鎌倉周辺には薬師信仰の寺院も多く、薬師信者を守護する十二神将など運慶作とされる諸像も伝来し、鎌倉の武家文化と薬師信仰が繋がりのあったことが伺へます

薬師の浄土は東方瑠璃光浄土とされ、菩薩であったときに十二の大願を発したとされます
疾病を治癒するほか、災禍の除去、衣食の満足、女人の成仏などでした
各地の温泉に薬師の湯があるなど、湯治の効果も薬師の信仰と結びつき庶民にもひろまったのです

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