稲荷大明神

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 稲荷神社には邸内社としてまつられる場合や、複数の家が講を構成して共同でまつる場合など、様々な形式・規模の神社が多数あります。

その多くが初午を祭礼日として「正一位稲荷大明神」と書かれた赤い幟を掲げて祭事が執行されてゐます。
「正一位」といふのは神階で、神様に対して高い位を贈呈して神威の恩頼を得ようとした古代の制度で、元は伏見の稲荷社に与へられたものでした。

稲荷社は城郭の鎮守としてまつられたり寺院の鎮守ともなりました。
寺院の稲荷は神仏習合して荼枳尼天としてまつられます。

江戸時代になると、稲荷の講中が伏見稲荷から「正一位稲荷大明神」の御神号を許されて、御分霊を戴いて稲荷社をまつることが全国的に広まりました。

その一つが瀬ヶ崎の稲荷社で、安永九年(一七八〇)に「正一位豊崎稲荷大明神」の神璽を伏見から頂戴してきてゐます。

瀬戸では大名であった米倉家のまつる笠森稲荷が地元の稲荷講の人びとにより毎年の祭事が継承されてゐます。

地域の稲荷講は、昭和の初期まではこどもの行事としても継承されてゐましたが、戦争中からこども行事は消滅してしまいました。

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