お伊勢さんの「式年遷宮」

みたまのふゆ第97号(令和6年11月23日発行)より

令和十五年秋にむけて 今年から諸行事が開始に
伊勢の神宮では二十年に一度、すべての御殿を建て替へ、御神宝装束も新たにする「式年遷宮」があります。
令和六年の正月に、神宮大宮司さまが参内された折に、陛下から遷宮を取り進めることのお言葉があり、諸行事の予定を申し上げましたところ、四月にこのことを「御聴許」になったことが伝達されました。
これを受けて、神宮当局でご準備が具体的に開始され、平成七年からは最初の神事である「山口祭」「木本祭」さらに「御杣始祭」などの諸行事が齋行されることとなります。
この御遷宮は、国民国家の平穏を祈念される陛下の大御心を奉戴して、「国民総奉賛」により完遂されることになります。
全国の神社関係者の力を合はせて「無双の大営」を立派に成し遂げたいものです。昭和の時代には第五十九回の式年遷宮は戦争のため四年間の遅延がありました。遷宮の予定通りの完遂は平和と繁栄の証しでもあります。皆様ともどもに奉賛活動に協力してゆきたく御願ひいたします。

御造営がすすむと、木曽の山からの御用材を納める「お木曳き」行事があります。
写真は前回の行事に氏子一同で参加した際の記念品です。今回も参加を企画したいと存じます。
江戸時代の瀬戸神社境内には「薬師堂」「鐘楼」がありました

江戸時代の瀬戸神社の境内の様子を知ることのできる資料には、様々な絵図があります。
徳川光圀公(黄門様)が編纂を命じられた「新編鎌倉誌」〔貞享二年(一六八五)刊行〕に掲載されてゐるものが最も古く、「江戸名所図会」は天保年代(一八三〇ころ)の記録となります。
このほか名所となった金澤八景を訪れた行楽客の求めに応じた風景絵図が各種残ってゐます。
これらの絵図をみると、瀬戸神社の境内には、社殿のほかに「薬師堂」(「やくし堂」とかな書きのものもあります)と「鐘楼」が描かれてゐます。
江戸時代までは、全国の神社では「神仏習合」であったことが知られてゐますが、瀬戸神社でも「薬師如来」が本地仏として祀られてゐたことがわかります。

鎌倉周辺の武士の間では「薬師」信仰が盛んであって、三浦氏や和田氏の関わりの深い横須賀曹源寺が薬師を本尊とし、十二神将の像があることをはじめとして、薬師如来を本尊とする多くの寺院があります。
執権北条氏(義時)も大倉薬師堂を建立しましたし、鶴岡八幡宮の神宮寺も薬師堂でした。
このやうに、鎌倉時代の武士に薬師信仰があったことに加へて、瀬戸神社と「薬師」信仰を結び着ける謂はれを示すものに、古い縁起物語があります。

瀬戸神社のご祭神は伊豆の三島明神を勧請したものとされますが、この三島明神は元は伊豆半島の先端に近い白浜に鎮座する伊古奈比咩命神社でありました。
この神社に古くから伝はる縁起物語があり、「三宅記」をいふ書物に記録されてゐます。
おとぎ話のやうな奇想天外な筋書きの物語ですが次のやうなことが語られます。
昔、天竺のある国の王様に八人の妃があった。最愛の妃は光生徳女であったが、この妃には子が生まれなかった。
妃は薬師を念じて、自らの命に替へても子を授かることを祈り、立派な王子を生むことが出来たが、王子が幼いうちに亡くなったしまった。
やがて王子は美しい青年に成長するが、王様の後妻が王子に心を寄せたため、王様の勘氣により王子は国を出ることになる。
薬師の化身でもある王子は、諸国を遍歴の後、東方に神々のすむ日本があることを知り、日本にやって来た。
日本の国は、どこも神々がお住まひで、住む場所がなかったが、富士山の神が伊豆半島の先あたりが良いが、狭いやうだから自ら島を焼き出すのがよいと教へてくれた。
そこで眷属となった若宮・剣御子・見目(それぞれ普賢菩薩・不動明王・龍神弁天の化身)の協力で伊豆の島々を焼き出してそこを住まひとし三島明神となったといふのである。
瀬戸神社に「薬師堂」が建立されたことと、この縁起物語がどれだけ関係するかは明確ではないが、三島明神と「薬師」の関係を推察するひとつの材料ではありませう。

かうした神仏習合は、一般的には明治維新の「神仏分離」で解消されるのですが、瀬戸では安政五年(一八五九)に大火があり、隣接の東屋などとともに薬師堂も鐘楼も焼失したとのことです。
釣り鐘の銘文は松平定信編纂の「集古十種」といふ書物に記録されてゐます。
「くすり」の効能と「お守り」の効き目
神社のお守りには「交通安全」「病気平癒」「学業成就」などさまざまなものがあります。
しかし、お守り袋の中身はどれも「瀬戸神社」のご祭神のお札です。ご祭神の御神徳を戴くための小さなお札が「御霊」として込められてゐます。薬品のように成分や配合の違ひがあるものではありません。
「お守り」は持ってゐれば効くといふものではなく、効くのは持つひとの「いのり」にあります。
毎日、ご神前にまで足を運ばなくとも、自宅の神棚で手を合はせ祈るために「おふだ」をおまつりします。
さらに一日中行動をともにして「いのり」を継続できるものとするために携帯できるのが「お守り」です。
「いのり」の趣旨を明確にするために「お守り袋」の表面には「交通安全」「病気平癒」「学業成就」など種種の文字が記載されますが、その文字に効能があるのではなく、お持ちになる方がそこに「いのり」を込めることに本当の意味があるのです。